無音の環境が好きだという彼女の、その内側で、常に音楽的なリズムが躍動しているように感じられた。女優として一時代を築きながら、主婦業に勤しむことにした理由。結婚について。仕事について。子供について。最近再開したフラメンコについて。年をとることについて――。

あらゆる質問の答えに、彼女らしいスタイルがある。100年先に残るものを生み出していくために、今日を精一杯生きる。彼女の体内からしか生まれない彼女の言葉は、聞き手の心に風を起こす。無意識的に、人生を音で形作っていくようなその言葉は、100年先に生きる人たちの心にも響く、〝風の歌〞なのかもしれない。
 

今、私たち大人の志や心意気が
試されている気がします

画像: 今、私たち大人の志や心意気が 試されている気がします

歌うように話す人だ。

 彼女が、約2時間にわたるインタビューの中で、一番多く口にした言葉が〝人間〞。それは山口さんが俳優でも妻でも日本人でもなく、一切の肩書を排除した上で、男も女も関係なく、人間を見つめ、自分の足で立っていることの表れなのかもしれない。

 たとえば、昨年春に放送された連続ドラマ『心がポキッとね』で共演した水原希子さんのことを、「希子ちゃんは、本当にいい〝人間〞ですね」と評した後、「すごく純粋で頼り甲斐のあるヤツです」と続けた。その〝ヤツ〞という言葉のチョイスが、愛を感じさせる。

「顔をぐちゃぐちゃにして体当たりで演じてた。あの若さで、人からよく見られたいという意識を捨てて、かっこ悪い自分もさらけだせるなんて、骨太だなぁって思いました。今の時代って、〝突出してはいけない〞〝失敗してはいけない〞って考え方に縛られて、無難にすまそうとする人が多い。私はそういう、平均的に単一になっていく世界って寂しいと思う。世界はもっと色とりどり、様々な個性で輝いていてほしい。人と同じではつまらないでしょ? 平均点ばかり狙ってたら、面白いものなんか世の中に生まれてこない。

こんなふうに失敗を極端に恐れる時代から、どう抜け出すか。今、私たち大人の志や心意気が試されている気がします。希子ちゃんは、若いのにそういう世の中の風潮に迎合しない。男気を感じますね(笑)」

 かくいう山口さんも、男気の人だ。そして意外なことに、様々なコンプレックスを、自分が前に進むための燃料にしている人でもある。
 

仕事を始めた理由は、
「田舎に帰りたくなかったから」

画像: 仕事を始めた理由は、 「田舎に帰りたくなかったから」

 短大卒業後にモデルとしてデビューし、’88年、NHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』のヒロインに。その後は、『ダブル・キッチン』(’93年)『29歳のクリスマス』(’94年)『ロングバケーション』(’96年)などの大ヒットドラマに、続けざまに出演した。

「仕事を始めた理由は、極々シンプル。『田舎に帰りたくなかったから』。ほんと、不純な動機です(笑)。実家は当時、旅館を経営していて、一人娘の私は家業を継いで旅館の女将になるという道が定められていた。でも本心は揺らいでいて、20代前半の頃は、どうにか家業を継がないで済む方法はないだろうかと必死でもがいていました。

演技のお仕事は一時的なものだと親をだましだまし続けていくうちに、幸運にも途切れることなくお仕事をいただきながら、気づけば30歳。でも今度は、その不純な動機に対する負い目というか……。『こんな気持ちで芝居を始めた人間が、このまま続けていっていいのだろうか』という、いつも心にひっかかっていた疑問が徐々に大きくなっていきました」

 
 山口さん曰く、俳優業は「どう学んだら何に繫がっていくのか。それが見えにくい職種」。何をどう勉強して努力していけばいいのか迷いながら、ただ目の前の仕事には一生懸命に取り組んでいくうちに、30歳を迎えた。人生の目標が持てないまま、傍目には順調にキャリアを積んでいるように見え、いつしか「カッコいい女」を象徴する存在となっていた。

「私自身の人生は、これから先もずっとずっと続いていくのだから、自分が何に興味を持って、何を学びたいかを明確にして、自分自身で合点がいくことをしてみたいと思ったんですね。だから、『ロングバケーション』以降、俳優の仕事からしばらく離れていたのも、とくに大きな決断をしたというわけじゃないんです。

結婚した直後だったこともあり、小さい頃に漠然と抱いていた『主婦になりたい』という夢をちゃんと実行してみようかなと。主婦って衣食住に関わって生活をクリエイトする仕事でしょ。面白そうだなと思って。それで家のことを楽しんでたら、あっという間に4〜5年経っちゃった(笑)」
 

画像: トップス¥40000、スカート¥71000、リング¥21000/バイ マレーネ ビルガー 青山店(バイ マレーネ ビルガー) シューズ¥87000/ジミー チュウ

トップス¥40000、スカート¥71000、リング¥21000/バイ マレーネ ビルガー 青山店(バイ マレーネ ビルガー) シューズ¥87000/ジミー チュウ

 山口さんの子供の頃の夢が主婦というのも意外だが、主婦に憧れた理由も、家業が旅館だったことに起因する。

「家が商売をしていたので、子供の頃の夜ご飯はいつも一人。家業の店から毎晩出前が届く。一年のうち300日はハンバーグ定食で65日はヒレカツ定食。だから今でも一番癒やされる食べ物はヒレカツと洋食屋さんのハンバーグ(笑)。だから大人になって主婦になったら、テーブルの上に3〜4種類はおかずが並ぶ完璧な食卓を演出してみたいとずっと思ってた。で、それが30代の頃に爆発しちゃったんでしょうね。

唐沢(寿明)さんと結婚してからは、料理は毎日徹底的に作りました。『こんな私を選んでくださってありがとう。せめて食でご奉仕しないと』という思いもあって(笑)。彼も大勢人を呼んで毎日が誕生会みたいだった。で、エネルギーを注ぎすぎて燃え尽きちゃった(笑)。『一生分は作ったな』という達成感はありますよ。

今は、必要に迫られない限り作らない。具沢山の汁物を巨大な鍋で作って、1週間もたせる感じ。あとは夫と外に食べに行っちゃう。作るより食べる方が断然好きだということに気づきました(笑)」

 
 やるときもやらないときも、すべてが徹底している山口さんだが、唐沢さんは、もともと「無理なことはしなくていいよ」という考え方。今では、美味しいものを一緒に食べに行って、お店で料理が出てくるのを待っている間、夫婦で会話する時間を、心から楽しんでいるのだそうだ。
 

今も、故郷というものへの
喪失感は強いですね

撮影日、着替えを済ませた山口さんが、全面ガラス張りの2階の部屋に上がってきたとき、雲の切れ間からすっと、太陽の光が差し込んできた。自他共に認める〝晴れ女〞。独特なシルエットの洋服を、生き生きとした動きで、とてつもなく魅力的に見せる。動きにも、言葉にも生命力が溢れるが、子供時代の話をするとき、その瞳が時々翳(かげ)る。その陰影の美しさに、今この瞬間にも、自分だけの物語を紡いでいる人だということを感じさせる。

 それにしても、なぜそんなにも、20代の山口さんは、故郷に帰りたくなかったのだろうか。

「旅館を一人で切り盛りしていた祖母は、ほんとに大変そうだった。週末もよく宴会の準備や片付けを手伝わされました。友だちと遊ぶ暇があったら家で修業しろ、と。でも、自分を犠牲にして家業に尽くす祖母の生き方は、私にとって、ある意味良い反面教師だったのかもしれないですね。

私は『家』という宿命に縛られるのではなく、自分自身が後悔しない人生を自分で選び取りたいと、いつしか心の奥で強く願うようになりました。そして、定められた道から逃れるように、故郷から飛び出したわけです。だから今も、故郷というものへの喪失感は強いですね。自分の帰る場所がどこなのか定まらないまま、何かをずっと探し続けているような……。もちろん今は、唐沢さんが待つ家に喜んで帰って行きますが(笑)。

もっと原初的な、血のルーツとしての『故郷』って何だろうと考えたときに、胸を張って生まれた場所の名を挙げられない虚しさがある。本当の魂の故郷はどこなのだろうと……。でも今は、知らない世界を旅して、プライドを持って生きている人々に出会うことが、何より楽しい。遠い異国の地に無性に懐かしさを感じて、ときめきます。地球のいろんな風土に育まれた、色とりどりの文化の多様性ってすばらしい。美しい地球こそ、私の故郷です(笑)」

 そうやって、〝旅する人生〞を選んだことを嚙み締めながら、「でも、もしかしたら、まだ非行少女がグレて家出している段階なのかも。人生を生きていくと、見方がどんどん変わっていくから、いつか自分の故郷を見直す時がくるかもしれないですね」と言って、少し達観した表情になった。
 

画像: 今も、故郷というものへの 喪失感は強いですね

 人生にはサイクルや波があり、人は日一日と変化するものだと、山口さんは言う。あんなに夢中だった料理の熱も今は冷めたが、またいつか再燃した時のために、お気に入りの食器は大切にとってある。20代から10年間、一時本格的に取り組んだフラメンコも、その後しばらく遠ざかっていたが、今年15年ぶりに練習を再開した。

「数年前、フラメンコ発祥の地といわれるアンダルシア地方を、夫婦で訪れる機会があって……。夫とは年に1度、スペインのバルを巡る旅に出かけるのですが、一昨年訪れたカディスという町で見た、普通の庶民が踊るフラメンコが素晴らしくて、夫婦そろって大感動しました。それ以来いろいろなフラメンコの舞台を一緒に見に行くようになりました。

彼も演劇人なので、踊り手の技や心意気、踊りに人生が投影されることに興味が湧いたみたい。私たち夫婦は旅先でも、正反対の趣味嗜好。私は町歩きに出かけるけど、彼はホテルの部屋でずーっとiPadをいじってる(笑)。でもここ数年、あれほどフラメンコに興味のなかった夫と、フラメンコ談義ができるようになった。人って変わるんだな、と(笑)。だから、人と時間をかけて付き合っていくって、ほんとうに面白い」

 
 山口さん自身も、久しぶりに本場のフラメンコに触れて、「何もわかってなかった」とショックを受けた。

「『こんなもんだろう』って知ったつもりになっても、人生の時を経て出会い直してみると、今まで知らなかった感動がある。旅して出会う、カッコいい大人の文化にも感動します。アンダルシアでは、老夫婦が夜中の酒場にお洒落して踊りにくる。粋なステップは溜息が出るほど素敵。歌って踊れる民族っていいなと、心から憧れます。

好きな音楽が鳴ったら、息の合った踊りで若者たちを唸らせる、カッコいい老夫婦を目指したいですね(笑)。スペインを旅しながら、現在、唐沢さんへ啓蒙活動中です」
 

100年先まで残る作品を
作るというプライドを持って

 フラメンコはもとより、その土地ならではの文化に、並々ならぬ興味がある。2000年頃から、山口さんは旅の映像シリーズの制作に着手し、意欲的に未知の土地を訪れるようになる。そして40代になると、日本の職人のもの作りの世界に惹かれ、日本各地を訪れ、使い手の笑顔のために労を惜しまぬ職人のエンターテイメント精神を追った。作り手と使い手をダイレクトに結びつけたいという思いから、伝統工芸品のセレクトショップをオープンしていたこともある。

「自分は『ほんとうに何も知らない』という事実に直面すると、猛烈に新しい世界を学びたくなる。その連続です。日本人でありながら、日本のもの作りの極意を知ることもなく、のほほんと40年も生きてきたことに啞然としました。言い訳がきかない、生み出す〝形〞で潔く勝負する職人さんたちは、ほんとうにカッコいいと思います。

いいものを生み出す職人さんは、語らせても超一流で、お話も最高に面白い。使い手の幸福のために、時間をかけて技を磨いて向上していく精神は、まさにエンターテイメントだなと思いました。これは、私が関わってきたテレビの世界でも全く同じこと。人々の暮らしを楽しく幸せにしていくものを、夢ある形で手渡していきたい。

職人さんのもの作りの精神を通して、私自身の本当にやりたいことが見えてきたように感じました。良い素材から時間をかけて、長く愛されるものを生み出していく仕事がしたい。『明日、明後日出す答えだけで、勝負しなくていいんだ』と、心がすーっと軽くなりました。売り上げとか視聴率とか、短期的な判断基準だけじゃない、もっと長期的な視野に立った、人の心に残る判断基準があってもいはずだと。早く結果を出すことだけがすべてじゃないと思います」
 

自分で選び取ることは、
嬉しい責任であり、
大人ならではの特権。

 いい素材を厳選して、しっかり準備をして、100年200年朽ちないものを作り上げる職人の世界との出会いが、山口さんの人生に対する考え方に変化をもたらした。

「100年先の未来に誇れるかどうか。その問いかけを胸に、自分の仕事に責任を持ちたいと思うようになりました。そうしたらとてもラクになった。こういうものが世の中に生まれたら楽しいだろうな、と自分自身思えるもののために力を注ぐ仕事は、楽しくてたまらない。ものでも、文化でも、受け継がれてきた素敵なものに、さらに夢を加えて、次に手渡すことが私は好きなんだと、やっと気づきました」

 
 2011年からは、『LISTEN.』という、民族音楽を入り口にして世界を巡る映像シリーズを自ら立ち上げた。

「時間と手間はかかるけれど、世界の魅力的な人々の姿を、夢ある映像に収めて、100年後の未来に自慢できる、タイムカプセルみたいなものが欲しいなあと思って。未来に誇れる『今』を収めた宝のカプセル。ターゲットを100年先ぐらいに設定すると、余計な雑念なんてどこかへ吹き飛んで、大河にたゆたうように心地よく、安心して新しいチャレンジができる」

 
 40代後半にして、山口さんはライフワークを見つけた。でも、だからといって俳優の仕事をセーブしているわけではない。彼女の人生の大きな柱は、人間として学び、感動し続けること。その経験の積み重ねが、俳優としての存在感を増すことにもつながると考えている。

「だって、俳優でいるためには人間として成長し続けなきゃいけない。年を重ねたぶんだけ、人間としてストンとそこに立っただけで人生の厚みを醸し出せる存在感を放てるようになりたい。『ザマーミロ、ここまで来てみろ』って言えるような、カッコいいオーラを発したい(笑)。とにかく学び続けて、目一杯感動して、『世界一幸せだ』と胸を張れる人生。いろんな再発見や感動は、そのための修行の道だと思っています」

 
〝受け継がれてきた素敵なものに夢を加えて、次に手渡す〞と言葉にするのは簡単だが、彼女の物事に取り組む姿勢は、どこか献身的な感じがする。そのエネルギーがあまりに膨大なので、「そうやって頑張れるのは、〝自分のため〞じゃないからですか?」と質問すると、目を丸くして、「え、どうして? 自分のためですよ」とあっけらかんと言った。「世のため人のため」などと聖人ぶることは一切なく、あくまで、「自分にとって何がザワザワするか」を大事にしている。つくづく正直な人だ。

「人生って、どれだけ自分でエキサイトできてるかですよね。まずは、自分が率先して幸せにならないと、人を巻き込んで幸せにしていけない。自分で道を選び取れるということが、何よりの幸せだと感じます。YESかNOか、自分で選び取ることは、大人の嬉しい責任であり、大人ならではの特権。あれこれ悩む暇があったら、自分の心に耳を傾けて、着々と選択していけばいいんです。選び続けていれば、人生は前に進んでいく」
 

▼後編はコチラ!

 

PROFILE

山口智子
1964年10月20日生まれ。「中学生の時は、隣町に電車で映画を観に行くだけで補導された」ほど、カルチャーとは縁遠いのんびりとした田舎で育つ。
 短大進学のために上京し、ViViモデルを経て、’88年NHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』で女優デビュー。奇しくも、「家業を継ぎたくなくて逃げ道を探していた」その家業である、旅館の女将役を演じた。
 映画は、『居酒屋ゆうれい』(’94年)『スワロウテイル』(’96年)、ドラマは『スウィート・ホーム』(’94年)『王様のレストラン』(’95年)などに出演。20代後半から30代にかけて、〝自然体〞かつ〝等身大〞かつ〝男前〞な大人の女性として、同性からの圧倒的な支持を得る。’95年、唐沢寿明と結婚。
 2000年以降は、旅の映像シリーズに携わったり、もの作りを極める職人の元を訪ね文章に収めるなど、自ら出演する以外の方法でも、〝もの作り〞と関わるように。2011年より、音楽を入り口に世界を巡る映像シリーズ『LISTEN.』がBS朝日でオンエア http://www.the-listen-project.com/jp/)。未来に伝えたい美しい「今」を収めた「タイムカプセル」だという。毎年数エピソード放送。

●情報は、FRaU 2016年3月号発売時点のものです。
撮影/伊藤彰紀(aosora) スタイリスト/清水けい子(SIGNO) ヘアメイク/ MICHIRU(3rd) 取材・文/菊地陽子

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