真新しいだけが価値ではないよと、移り気な時代にそっと句読点を打つ、そんな食卓のおいしくて愛おしかったこと。
 

「みんな、いなくなってしまっても。」

骨董土産や屋台が並ぶ派手派手の賑わい通り(仁寺洞)を横道に逸れると、あたりは急に静かで、工事現場のブルーシートがスン……と風に揺れていた。

続く廃屋。その道すがらで、時代に押しつぶされそうになりながら、そっとうずくまるようにして一軒のプレハブ小屋が建っていた。これがワサドゥン……創業55年の老舗マッコリ居酒屋さんだ。
 

ドアをあけるとひっつめに日焼けが眩しいおばあちゃんが豪快にホッケを焼いている。彼女がご店主のキムさん。強い。
 

彼女の只者でない空気に気圧されながら席につくと、さっきのホッケとべこべこのアルミ洗面器に入ったマッコリが現れた。またしても強い。

ホッケ色に同化した壁には、愛も夢も怨念も塗り重ねた数十年に渡る落書きが刻まれて、異様な賑やかさを醸している。「うちは変わらないよ。壁も塗り直したりなんかしない」と、キムさんは強気ではにかんだ。
 

まだ明るい時間だったのに店には既に先客がいて、熟年紳士7人組がマッコリで何度も何度も乾杯していた。おたまじゃくしの会と銘打たれた小学校の同窓会らしい。愉快だなー。

冷房がないために開け放たれた窓の外からは、バッティングセンターの乾いた音が聞こえてきた。かーん、かーん。魚の焦げる匂いはみるみる青空に溶けて、お酒はすっかり進んでしまって、ちょっと自分がどこにいるかわからなくなる、ロストインマッコリ居酒屋の午後。
 

ワサドゥン
AREA:仁寺洞
鍾路区仁寺洞1キル9
☎02-723-9046 
営業時間:13:00~24:00
定休日:なし
 
ホッケの焼き魚のほか、全てのおつまみは 各10000W
マッコリ2人前 5000W、4人前 10000W

 

この場所がなくなったら、きっとその世代の文化に一切触れられなくなる。そんな時代の接点のような店は尊い。大学路の喫茶店・ハクリムタバンもそのひとつで、新興カフェに紛れたセピア色の屋根裏部屋には特別な時間が流れている。
 

画像: 「みんな、いなくなってしまっても。」

疲れた大型犬のようなソファに腰掛けてパフェ(こと80年代シティーボーイ&ガールのデート小道具)を頼む。ぶかぶかのジャケットにハイウエストのジーンズ、チェリーソーダに缶詰フルーツ。ださくて甘くて体に悪くて、だけど幸せだったこと。
 

古めかしいスピーカーからはベートーベンの『運命』が流れて、幅広の窓には都市の緑が揺れていて、今ここだけがスローモーションみたいに現実の喧騒から守られた秘密の場所だった。癒。

今日もこうして歴史の一コマを抱きながら、店はそこに在る。本当はなくならないものなんてない。でもだからこそ、“変わらない” というまぼろしは素晴らしい。
 

ハクリムダバン
AREA:大学路
鍾路区大学路119 2F
☎02-742-2877
営業時間:10:00~23:00
定休日:なし
 
ウィンナコーヒー 6000W
パフェ 7500W

 
 
 
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PROFILE

平野紗季子 Sakiko Hirano
フードエッセイスト。1991年生まれ。小学生から食日記をつけ続ける生粋のごはん狂。

 
●情報は、FRaU2017年7月号発売時点のものです。
文・平野紗季子 Photo: Koichi Tanoue Coordination: Jung Ja-Kyung

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