好きすぎるものがある人生って充実してそう! そういう思いから始まった「偏愛」特集。ただ、この特集を進めるにあたってふと思った。そもそも “偏愛” ってどういうこと......?

お話をうかがうべきは、この人しかいない。6歳にして「怪獣スクラップ」を開始。小3の時、自主的に「ケロリ新聞」を刊行し、翌年には「仏像スクラップ」を始める。そんな早熟の偏愛家はやがて “偏愛のプロ” となり、対象物に愛という名の盛り土を重ねながら、今この瞬間にも “偏愛道” を進化させてゆく。

仏像、怪獣、エロスクラップ、いやげもの、ゆるキャラ、シンスなど、みうら氏が偏愛するボブ・ディラン氏同様、世界にたったひとつの “みうらじゅん” という職業を極める彼が語る “偏愛の極意” とは――?

 

対象物が自分本来の趣味嗜好から
離れているものの方が長続きする

偏愛は、自分を洗脳することから始まる――。10代の頃からボブ・ディラン氏を偏愛していたことで知られ、氏がノーベル文学賞を受賞した際は、日本のメディアからコメントの依頼が殺到したというみうらさんは、自称 “偏愛プロ” である。彼の事務所は “異形” グッズで溢れていたが、実は、ゆるキャラにしても仏像にしても、もともと“好き”という動機から入ったわけではないという。

 

偏愛とは、自分を洗脳する
修行があってこそ成り立つもの

画像1: 偏愛とは、自分を洗脳する 修行があってこそ成り立つもの

「俺の偏愛は、“趣味” と呼べるようなナチュラルで品のいいものとは違って、全部わざとやっているものですから。だから本当は対象はなんでもいいのかも知れません。自然に好きになったものより、自分と離れていれば離れているほど、偏愛は長続きするんじゃないかな。偏愛って、自分を洗脳するための修行があって成り立ちますから。要は、“いかに偏愛になれるか”、その過程を楽しむのが趣味なんです」
 

画像2: 偏愛とは、自分を洗脳する 修行があってこそ成り立つもの

みうらさんの偏愛は、大抵が対象のビジュアルに惚れ込むことから始まる。怪獣と仏像に関しては特にその傾向が強く、1960年代、小学生の間で怪獣ブームが起こったとき、地元の京都で密教仏を見て、目や手がたくさんあるような不思議なその形状に、怪獣との共通点を感じた。
 

画像3: 偏愛とは、自分を洗脳する 修行があってこそ成り立つもの

「昔っから不自然な形のものに惹かれる傾向があって。今思えば、“異形” つながりですよね。それから、仏像と怪獣を同じ土俵に並べて愛でるようになって、あるときふと、ウルトラマンのルーツが弥勒菩薩だということに気付いたんです。顔の作りも似ているし、弥勒菩薩が釈迦の入滅後56億7000万年後の未来に現れて悟りを開く仏であるのに対して、ウルトラマンは78億星雲・光の国からやってきた宇宙警備隊であることとか。一種の “ネタ元” を発見して有頂天になってたんですが、その話を友達に得意げにしたらドン引きされて(苦笑)。

その頃はまだ人に伝える話術を知りませんから難しい用語を使って解説したり、ドヤ顔で説明したら当然、聞く方は受け入れてくれないわけです。小学生の時、そのことを学んで以来、 偏愛したものをいかに優しく面白い切り口で多くの人に伝えるかを考えるようになりましたね。自分が偏愛するものに、興味を持ってもらうためには、偏愛っていうくらいだから、常軌を逸した愛し方をするくらいじゃなきゃいけない。先ずは自己洗脳ですね」

 

度重なる裏切りにどこまでも
ついていくのが “偏愛”

画像1: 度重なる裏切りにどこまでも ついていくのが “偏愛”

みうらさんがボブ・ディランを偏愛するようになった過程などは、まさに修行である。既に出ていたレコードを毎月、お小使いで揃えていき、毎回毎回「え? こんな曲なの?」という想像を絶するような裏切りに遭った。
 

画像2: 度重なる裏切りにどこまでも ついていくのが “偏愛”

「中学の時に、初めて『ボブ・ディラン』というアルバムを買ったんだけど、当時は洋楽といえばハードロックが主流でね、俺の買ったアルバムはトラディショナル・フォークがメインで、しかもオリジナルは1曲だけ。当時2000円のお小遣いをこの1枚のために全部叩いちゃったから、なんとか好きになろうと必死で。友達が来た時に、このアルバムがどれだけ素晴らしいかを、必死で盛り土して喋った(笑)。正直、苦行でしたよ。でも、好きになろうとしてたから、とにかく好きになるまで聴き続けよう、と。

ボブ・ディランという人は、作風を次々に変えるんだけど、『ブリンキング・イット・ オール・バック・ホーム』というアルバムの1曲目はブッ飛びました。 だって、今のラップにつながるような、延々韻を踏む曲だったんです。俺は、そんなボブ・ディランそのものが発明だと思ってるんです。

最近のアルバムは、何とフランク・シナトラのカバーなんだけど、過ぎたミュージシャンが、新譜を引っさげて世界ツアーをやってるってスゴくないですか? 誰もが知ってるヒット曲もたくさんあるのに(苦笑)。でも、ボブ・ディランは、自分で作ったイメージ を壊して、壊して。常にライク・ア・ローリングストーンであり続ける、そういう発明なんだと思う。

そもそも、ファンが勝手なイメージを持つこと自体が失礼なんだけど、対象の度重なる裏切りにどこまでもついていくのが偏愛の見せどころ(笑)。対象が提示してくれるものを評論してはいけないし、ましてや、偏愛者同士で “自分の方が知っている” とか競い合うようじゃまだまだ」
 

画像3: 度重なる裏切りにどこまでも ついていくのが “偏愛”
画像4: 度重なる裏切りにどこまでも ついていくのが “偏愛”

平均や常識からできるだけ遠く離れること。人との比較をしないこと。できる限りお金を使うこと。偏愛のプロになるために必要な心構えとしては、大まかにその3つが必要になる。対象物を手に入れるために、たくさん情熱とお金と時間を注ぎ込めば、「これだけ時間とお金をかけたのだ。だから、きっと好きになるに違いない!」と自己洗脳することができる。

画像5: 度重なる裏切りにどこまでも ついていくのが “偏愛”

「ゆるキャラは20年近く前にその概念を発明しました。自分洗脳でどこまで好きになれるかが重要でしたから。俺がゆるキャラに気付いた時、八百万の神の発想を感じましたね。

昔の怪獣映画だって、日本人は、中に人が入っていることもひっくるめて愛してきたじゃないですか。人が入っている不具合さを愛おしいと思える。着ぐるみ的なゆるさに寛容なんです。日本って、無生物にでも “さん” とか “くん” をつければキャラにできる風土があるなと思いましたね。

それで着ぐるみの追っかけを始めたんです。地方のイベントで着ぐるみの張り込みをして、最前列で写真を撮ってたら、それがローカルニュースに映ってたなんてこともありました。ホテルに帰って、『どうかしてるな』と初めて自分のことを疑いましたけど(笑)」
 

画像6: 度重なる裏切りにどこまでも ついていくのが “偏愛”
画像7: 度重なる裏切りにどこまでも ついていくのが “偏愛”

みうらさんは、偏愛対象物を絶対に批評しない。曰く、評論とは、“好きになる可能性を減らす行為” らしい。どこが魅力なのか。それがわからないから、人は対象物を追い続ける。つまり、評論や批評とは無縁の生活を送れば、“偏愛のプロ” = “天然のトンチンカン” になれるのだ。さらに、物事をわかった気持ちになると、人間は途端に飽きてしまう生き物だということも、偏愛のプロは、過去の経験から熟知していた。
 

画像8: 度重なる裏切りにどこまでも ついていくのが “偏愛”
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「好きになったものって、だいたい4年ぐらいで “わかった” 気になる時がくるんです。日常生活を普通に送っていたら、偏愛よりもっと自分に大切なことが出てきますからね(笑)。だって、偏愛で一生終えられないでしょ? 人が物事に飽きる感覚は本能だとしても、偏愛のプロになりたければ、そこを踏ん張って、“飽きてないふりをする” ことも大切だと思います。だったら『自分には偏愛は無理だ』って思うかも知れないけど、『いやいや、本当は飽きてるのに、飽きてないふりをしているヘンな人もいるんだよ』ってことを知っておいて下さい(笑)」
 

画像10: 度重なる裏切りにどこまでも ついていくのが “偏愛”
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●情報は、FRaU2017年3月号発売時点のものです。
Photo:Masanori Ikeda(YUKAI) Art Work:magma Interview&Text:Yoko Kikuchi

 

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