旅先でテンションが上がってしまう理由。その根っこにはどんな欲望が紐づいているのか? 今回は「ここではないどこか」がもたらしてくれる景色の価値について考えてみます。

 

今月のBOOKは……

『観光』
ラッタウット・ラープチャルーンサップ 古屋美登里 訳 ¥800/ハヤカワepi文庫

『ショート・トリップ』
森絵都 ¥438/集英社文庫
 

 

「観光の対価」

 ココナッツの小物入れ。貝のネックレス。何の神様を模しているのかわからない木彫りの置物。そんな、捨てようにも捨てられない旅の思い出を誰もがひとつは持っているはず。

 テイストが統一されている場合はまだいい。人によってはヴェネチアカーニバルの仮面だったり、キルトの壁掛けや唐辛子を大量にぶら下げた飾り物だったりがハイブリッドされているかもしれない。とにかく旅先で衝動買いしてしまった土産物の数々。もちろん、そうした思い出のアイテムに囲まれて日々の活力を補給できる場合は何ら問題ない。けれど、視界の隅に入るたびになぜかげんなりしている自分に気づいた時は——次の旅行を計画する前に、 いちど本の世界に出かけてみてはどうだろう。

 
 タイ系アメリカ人の作家、ラッタウット・ラープチャルーンサップの短篇集『観光』には、その土地の人間から見た「観光」の姿が皮肉めかせて書きつけられている。

冒頭の一篇「ガイジン」は鮮烈だ。たとえば、目の前で豪快にグリルされる魚介を眺めながら食事ができる浜辺のレストラン。海風に吹かれ、つま先に砂を感じながら、星空の下で味わうディナー。いかにもロマンティックな——つまりは、私たち外からやってくる旅行客が夢見るシチュエーションだろう。ところが地元の者にいわせれば、それは「(わざわざ高い金を払って)三流の雰囲気で食べる二流のシーフード」(!)でしかない。

タイ観光の定番・象乗りアクティビティの場面はいっそうシニカルだ。入り口にはカタコトの英語で表記された残念な看板がかかっているが、実はこれ、確信犯。主人公がヤシの木に登れるのは育った環境の賜物なんかではないのと同様、すべては観光客に「エキゾチックな気分」を消費させるためにあつらえられたものなのだ。

 
 では、私たちが「旅」から持ち帰る対価はどんな形が望ましいのだろう?

——直木賞作家・森絵都のユニークな掌篇集『ショート・トリップ』では、さまざまな旅人たちの姿が寓話の中で茶目っ気たっぷりにイジり倒される。中でも出色は、年に一度の巨大な竜巻によって引き起こされる不思議な旅の顛末を描いた「アフター・フライ」と「ビフォア・フライ」。

竜巻に飛ばされた先で暮らしていた時の記憶は、元の町に帰ってくると抜け落ちている。だからこそ町の人びとはそこが「楽園」だと噂して憧れを募らせるのだが――結末から何を汲み取るかで、読者自身の「日常」の姿が形を変えて浮かび上がる。

 そう。旅はあくまで、「その人にとっての日常をチューニングするための時間」なのだ。そのプロセスにおいては木彫りの置物を買うのもまた一興だろう。ただ、人に配るのはやめておいたほうがいい。だってそれは「体験」がなければ意味のない代物なんだから。

 

PROFILE

倉本さおり
1979年生まれ。ライター、書評家。『小説トリッパー』、『週刊新潮』誌上にて書評コラム連載中。共著に『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)。


●情報はFRaU2017年8月号発売時点のものです。

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