ただ一つの目的のために旅する場所『マーファ』。テキサスの空港からおよそ3時間、砂漠の真ん中にある。日本からはもちろんのこと、アメリカ国内から目指すのも大変。それでも多くの人が向かうのはアーティスト『ドナルド・ジャッド』が愛した地であり、ここでしか体験できないことがあるから。

 

何かひとつのことを目指して
旅に出ることは小さな贅沢

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若い頃、アフリカのある島に行きたいと思ったことがある。けれど調べてみると、そこまで行くのに片道で3日近くかかる。かかるのはお金だけじゃない。問題は時間なのだ。1週間しか休みが取れないのであれば現実的ではない。お金と一緒に時間を使えなければ、真の贅沢にはならないのだと学んだ瞬間だった。

20代の頃は必然的に貧乏旅をした。30代の旅は、行った先々で貪欲に動き回り、できるだけたくさんのものを見て、夕食のあとは明け方まで遊びに行くのが楽しかった。40歳すぎて、今の自分の旅のスタイルを考えたとき、あのアフリカの島に行くことを諦めたときのことを思い出す。

自分はまだアフリカの島に行くために何週間も使えるところまではきていない。けれど、何かひとつのことを目指してわざわざ旅に出る、ということが小さな贅沢に感じられるようになった、という意味では少しだけ大人になった。たとえば気になっていたバンドを見るために、とか、今しかやっていないイベントに参加するため、とか。
 

画像: ©aflo

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もう一度、マーファに行こうと決めたのは、今年の2月だった。友人でmameのデザイナーである黒河内真衣子さんが、ニューヨークから西海岸に行く間にぽっかり何日かあいている、と言ったからだ。だったら3泊くらいでマーファに行こう、という話になったところに、LAに行く途中だったボンジュール・レコードの上村真俊くんがジョインすることになった。

マーファは、30代でアメリカを一周した最中に、2度通ったことがあった。メキシコとの国境を目指す途中に通過したのだ。

1度めは、2008年。ハリケーンによる洪水で国境付近のエリアに近づけず、一晩足止めをくらったときだった。夕方立ち寄った〈マーファ・ブック・カンパニー〉の本のセレクションは、こんな僻地になぜ、とため息が出るほどレベルが高くて、そこでオーナーのティムが教えてくれたレストラン〈コチニール〉の食事は、その旅で体験したなかで一番おいしかった。

2度めは2012年。フォトグラファーのグレースと「ドナルド・ジャッドの家を訪ねたいね」と話していたけれど、すでに当初の予定を大幅に遅れていたからそのときも諦めた。だから今この2017年に、改めてジャッドを訪ねる旅をするのも悪くない、そう思ったのだった。
 

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マーファは遠い。テキサスのミッドランド空港から、またはエルパソ空港からほぼ等距離くらいで、3時間はかかる。便もそんなに多くない。午後の一番に入る便で入っても、レンタカーに乗り込んで3時間強走れば、夕方になってしまう。つまり、マーファに着くだけでほぼ1日かかってしまうのだ。

それでも人がマーファを目指すには理由がある。ミニマリストのアーティスト、ドナルド・ジャッドが愛した場所だからだ。マーファでしか体験できない作品だけでなく、ジャッドの創作の場や家を見学することができるから。

ドナルド・ジャッドはミズーリ州に生まれ、1946年から1947年にかけてエンジニアとして米軍に従軍した。ジャッドがアメリカ南西部のランドスケープに恋をしたのはそのときだという。’40年代後半から絵を描くようになっていたジャッドは、ニューヨークに住んでいた’60年代に、シンプルな形状のオブジェクト使った彫刻作品を作るようになる。’70年代に入って作品の規模が大きくなるのとともに、ジャッドはニューヨークの喧騒を嫌うようになり、ニューヨークのスタジオを維持しながらも、1972年にはマーファでの生活を始めた。ジャッドは、’70年代終盤に、ニューヨークのディア財団の援助を受けて広大な土地を購入し、非営利のチナティ・ファウンデーションを創設した。それから1994年に突然亡くなるまでの20年間、マーファに腰を落ち着けて自分の創作とコミュニティ活動に勤しむことになる。

ジャッドがやってくるまでのマーファは、寂しい場所だったようだ。西部開拓が進んだ19世紀後半には鉄道の水の供給場所として機能し、第二次世界大戦中には、米軍が訓練施設を作ったことで数千人の兵士たちが逗留した。とはいえ、ピーク時でも人口は5000人程度にしかならなかった。終戦とともに、米軍が訓練施設を閉鎖してからは人口は減る一方で、ジャッドが腰を落ち着けた頃には3000人を切っていた。ジャッドが来たからといって、人口の減少が止まったわけではなく、2010年の国勢調査では街の人口が2000人を切ったことが明らかになった。けれどジャッドのおかげで、観光地としての存在感は増すようになった。ジャッドの作品を、そして彼を魅了した西部の土地に「アート・ピルグリメージ(巡礼)」をするアート・ラバーたちが世界中からやってくるようになったから。

’90年代から、チナティ・ファンデーションのおかげで、アーティストたちが創作にやってくるようになり、またマーファ出身の弁護士が友人とともに帰郷して、アーティストや住民たちが集う場所を作った。そうやってマーファは、アートの聖地になったのだった。

※フラウ2017年9月号より一部抜粋

 
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2017年 8月10日(木)発売
750円(税込)

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PROFILE

佐久間裕美子さん
ニューヨーク在住のライター。食の革命、メイド・ローカル・ブームなどを追いかけた『ヒップな生活革命』(朝日出版社)で知られる。また近著『ピンヒールははかない』(幻冬舎)において、「大都会、シングルライフ、女と女と女の話」を綴り話題を呼んでいる。翻訳本に『テロリストの息子』など。


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