「それともうひとつ。心の底から確信できたのが、本気でやりたいことがあれば、きっと誰かが繫いでくれて、最後にはそこに辿り着けるってこと。私は、自己顕示欲を満足させたいとか、お金が欲しいとか、世間に認められたいとか、そういう欲望とは違うところで、ヘルムート・ニュートンと一緒に “作品” が作りたかった。それは、私が生きていくために、自分がやっているこの仕事で代表作を作ることが、絶対に必要だと思ったからです。

私は、20代のときに一度結婚しているんですが、結婚生活は長くは続かなかった。30歳になると同時ぐらいに、人間不信になって、『このままじゃダメだ。でも、それなら私は、40代、50代にどうなっていたいの?』と自問自答したとき、『死ぬまで仕事を続けたい』と思っちゃったんです。

結婚して、子供を持って、誰から見ても幸せな家庭を築く、っていう選択肢もあったと思う。当時は、そういう家族を見るだけで涙が出ちゃうから、目を背けていたほど(笑)。それくらい羨ましかった。もちろん、仕事も家庭も、両方あれば最高だし、頭では、家庭を優先した方が幸せだってわかっていました。頭では “女としての幸せをとるべき” と思っていても、私の場合、心が動かなかったんです。私は昔からそんなに器用じゃないから、家庭と仕事、両方うまくやっていくなんて無理だって思ったし。だから、神頼みするときは、『一般的な女としての幸せは犠牲にしますから、どうか、死ぬまで仕事させてください』って、毎回祈ってましたね」

心の芯からの願いは、きっと誰かの心に届く。そして、誰かの心を動かす。誰も本気にしなかった世界一の写真家との仕事。それも、「面白い」と言ってくれる人が現れて、終いには巨匠の心も動かした。撮影のときも、人生で、こんなに惨めな気分になったことはないと思うほど惨めだった。でも、ボロボロになってはじめて、自分の中にある人間の尊厳のようなものが、目を覚ました。一枚の写真が、女性の生き方を写し出す、アートになった。それは、結局、石田さんがこの先女優として生きていくために必要な経験だった。だから、自分が揺るがなければ大丈夫。かならず、いつか行くべき場所に導かれる。ヘルムート・ニュートンとの仕事を通して、世の中から、答えをもらった気がした。

そんな幸福な出会いから十数年。40代の石田さんは、もう一度、巨匠との写真集を出す計画を立てていた。最初に、交渉役を買って出た出版社勤務の男性を交え(その人は、『罪』のときに、誌面に名前を記すこともなく、報酬を受け取りもしなかった)、撮影時期などを詰めたところで、思いもかけなかった訃報が舞い込んだ。巨匠の死——。突然の心臓発作。83歳で、エロチシズムの巨匠は逝った。

 
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PROFILE

石田えり Eri Ishida
1960年11月9日生まれ。熊本県出身。中学3年生の夏に上京、多くのオーディションに挑戦するも、16歳まで100本近く連続で落ち、「これでダメなら熊本に帰る」という覚悟で挑んだ映画 『翼は心につけて』のオーディションに合格。骨肉腫に侵されるヒロインの役でデビューした(監督は黒澤明の愛弟子の堀川弘通)。1981年公開の映画『遠雷』(根岸吉太郎監督)で数々の賞を受賞。女優として映画、ドラマ、舞台と幅広く活躍、'93年にヘルムート・ニュートンが撮影したヌード写真集『罪ーimmoraleー』が大きな話題に。30代より、女優業の合間に、たびたび海外へ語学留学、演劇修行などに出向く。ファションフォトグラファーとして'90年代にはスーパーモデルブームの火付け役とされ、72歳の現在も世界の第一線で活躍するピーター・リンドバーグがフランス・アルルで石田さんを撮影した写真集『56』¥8800/講談社 は、12月上旬に発売予定。

●情報は、FRaU2017年11月号発売時点のものです。
Text:Yoko Kikuchi

 

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