いかに「良いパートナー」の要件を満たしていたとしても、「良い夫婦」になれるとは限らないのが結婚の難しいところ。今回は、そこに横たわるズレとの付き合い方について考えてみます。

 

今月のBOOKは……

『幸福な日々があります』朝倉かすみ(集英社)
けっして嫌いになったわけではない。けれど、もうこれ以上一緒にはいたくない——。十年の時を行き来しながら、「夫婦」という関係に潜む、拭い去れない違和感と幸福を同時にあぶりだす長篇小説。
 

『読書で離婚を考えた。』円城塔+田辺青蛙(幻冬舎)
書くものも読書傾向もさっぱり合わない作家夫婦が、相互理解のために本を勧めあったものの、待ち受けていたのは離婚の危機!? 時にハラハラ、時にクスリと笑わされる、リレー形式の読書エッセイ。

 

「妻と夫」でいつづけるために

「性格の不一致」。あるいは「価値観の相違」。現代における離婚の原因の大半が、この言葉に当てはめられるのはよく知られているところだ。一方、結婚の決め手として多くのカップルが挙げる要素は「相性の良さ」。んん? 待てよ、それってつまり、恋人同士のあいだは確かに「ウマが合う」と思って結婚したはずなのに、その多くがけっきょくは「なんか違う」という結論に達したということになるわけで……。考えれば考えるほど「夫婦」という関係性は難しい。

朝倉かすみの『幸福な日々があります』は、おそらく多くの離婚経験者がこれまで言語化できずにモヤモヤしていた微妙で繊細で複雑すぎる感情を、じつに見事としかいいようがない手つきですくいあげた小説だ。結婚十年目にして離婚を決意した主人公・森子の心情と、ちょうど十年前の同じ季節の森子の心情が交互に並べられる形式で物語が進んでいく。

すでに心がどうしようもなく冷え固まってしまっている現在の森子と、夫と過ごす毎日が愉しくてしかたがない新婚当初の森子。その対比は残酷なほど鮮やかに浮びあがる。だが、夫の性格やふるまい自体が別段変わったわけではない。それなのに、どうして? かつてはいとおしいと思っていた夫の仕草や発言のひとつひとつが、どうしてこんなにも神経を逆撫でするんだろう?

——明確な前触れもなく突然、離婚を切り出した森子の気持ちを夫はまったく理解できない。実際、森子自身も上手く答えられないのだ。わかっているのは、もう「夫婦」としては一緒にいたくない、ということだけ。けれど、そこに問題のすべてが集約されていることは、本書を読めば痛いほど伝わってくる。強いて言うなら、それは「相手が他人であることを忘れてしまった」という点に尽きるのだろう。

本来、異なる人間である以上、互いのズレはその関係の中に最初から含み込まれているはずだ。ところが「結婚」というフレームの内側に入ったとたん、相手と自分の境目が曖昧になってしまうことがままある。結果、自明だと思っていたはずのズレの所在があやふやになり、得体のしれない「違和感」へと化けてしまう。

 
ならば、夫婦が夫婦でいつづけるためのコツはないんだろうか? その問いにユニークな形で答えてくれるリレー・エッセイが円城塔+田辺青蛙『読書で離婚を考えた。』(!)だ。

性格も書くものも気持ちいいほど異なる作家夫婦が、互いに本を勧めあうことで相互理解を図る企画なのだが――こまごまとした記憶違いや互いに対するイメージの相違が次々に発覚。相互理解どころか、むしろ理解不能の部分のほうがどんどん際立っていく。

そんな二人の盛大なズレっぷりにハラハラさせられつつも、なぜか読んでいるうちに妙な安心感が広がっていく。その秘密は、巻末の対談中のひと言にも表れている。「距離は変わらずとも相手の輪郭はわかったかも」——そう、互いの輪郭を改めて確かめることは、相手をひとりの人間として認め、尊敬することと同義なのだ。

 
 
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PROFILE

倉本さおりさん
1979年生まれ。ライター、書評家。『小説トリッパー』『週刊新潮』誌上にて書評コラム連載中。共著に『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)。

 
●情報はFRaU2017年12月号発売時点のものです。

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