好きな時間に起きて、好きな時間に食べて、好きな時間に寝る。勝手気ままな生活は楽ちんだけれど、それだけじゃ心が萎(しお)れてしまうことも。今回は、「誰か」がいることの意味について思いを巡らせてみます。

 

今月のBOOKは……

『大家さんと僕』矢部太郎(新潮社)
売れない芸人の〈僕〉が引っ越したのは、1階に大家さんが住む一軒家の2階の部屋。そこでひとり暮らしとは言えない奇妙な生活が始まり……実話に基づいたエッセイ漫画。ちなみに矢部の父は絵本作家のやべみつのり氏。

 

ひとりだけではない暮らし

実家暮らしの学生の頃はただただ憧れの対象だった「ひとり暮らし」も、いざ社会に出て自活を始め、すこしずつ年齢を重ねるうち、その意味合いは着実に変わっていく。

たとえば、深夜に水回りが壊れたとき。高熱を出して寝込んでいるのに食べるものが何もないとき。仕事で目も当てられない失敗をやらかして、どん底の気分のまま家の玄関のドアを開けたとき――普段は満喫している自由と引き換えに、いくばくかの心の拠りどころを自分が手放してきた事実にふいに気づかされる。

かといって、おひとりさま生活に慣れれば慣れるほど、「誰かと暮らす」ことへの抵抗感がどんどん強くなるのもまた事実。ああ、いまさら他人と生活のペースを合わせるなんて! ――そんなモヤモヤと老後の不安を天秤にかけている人に、一度このエッセイ漫画を読んでみることをおすすめしたい。

 
お笑いコンビ・カラテカの矢部太郎が8年前に引っ越した先は、新宿区のはずれにある木造2階建ての一軒家。お風呂とトイレと玄関がそれぞれの階に設置された、いわゆる二世帯住宅のつくりで、1階には大家さんが住んでいる。かくして38歳のお笑い芸人と86歳のおばあさんが営む、ちょっと変わった「ふたり暮らし」の様子がほのぼのタッチで綴られていく。

外に洗濯物を干したままにしていると、大家さんから「雨が降り出しましたよ」と電話が入る。帰宅して電気を点けた直後も「おかえりなさい」と電話が入る。帰宅が朝になってしまったときにいたっては、勝手に洗濯物が取り込まれている。〈「自由がないというか一人暮らしぽくないんです」〉

――当初、彼は「他人」であるはずの大家さんとの距離の近さに戸惑う。けれど、夜露で湿気っていたはずの洗濯物がきちんと畳まれて風呂敷にくるまれていたり、暗い場所にライトを取り付けたら予想以上に喜んでもらえたり、大切な友人からのおすそわけをもらったり。大家さんの丁寧な暮らしぶりに触れながら、すこしずつその距離を受け入れるようになっていく。

なによりこの大家さん、久しぶりに会った友達と盛り上がりすぎて「朝帰り」をしてみたり(!)、意外にもバンジージャンプをするのが夢だったり(!!)、知れば知るほどその人となりがチャーミングで可愛らしいのだ。

 
とはいえ、もちろん綺麗事だけじゃ済まされない。普段食べられない美味しいものをご馳走してもらう形でときどき一緒に出かけるようになったはいいが、ゆっくりゆっくり食事を楽しむ大家さんにつきあうと4時間はかかってしまう。彼が疲れているときは、つい冷たい態度をとってしまうときもある。それでも部屋に帰ってひとりになると、自然と仲直りの気持ちがむくむくと湧いてくる。それは本来、別々の人間が同じ時間を共有するという、奇跡に近い出来事のありがたみにはたと気づく瞬間だからだろう。

ひとりの時間に充足していると、「優しくする」ということの意味を忘れてしまうことがある。でもそれは、自分の生活にとっても他人の生活にとっても大切な心の栄養なのだ。

 
 
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PROFILE

倉本さおり Saori Kuramoto
1979年生まれ。ライター、書評家。『倉本さおり 小説トリッパー』『週刊新潮』誌上にて書評コラム連載中。共著に『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)。

 
●情報は、FRaU2018年2月号発売時点のものです。

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