小さい頃から寿司が苦手だった。緊張感のあるカウンターも(パパもママも借りてきたネコみたいになる!)、紗季子はサビ抜きと言って子供扱いされるのも(ボウリングだってガター無しで投げるのに)、ずっと同じぬるい温度の食べ物が出続けるのも(アツアツもヒエヒエもない世界だ)イヤだったが、なにしろ生魚と酢飯の組み合わせが意味不明だった。ねえそれ合ってる? ふたりはほんとに仲良しなの? 今よりずっと鋭敏だった私の舌は魚の生臭さにお酢がトンがる奇妙な味を寿司の世界に見ていた。だから家族がお寿司に行く日は家で留守番。「めちゃイケ」をみながら上海エクスプレスをひとり食べた夜を思い出す。その方がずっと幸せだった私の人生から、寿司は静かに消えた。

転機が訪れたのは数年前、社会人になりたての頃だ。「さきちゃん、〈天寿し〉へ行こう」。地元福岡に帰省しているとき、父に突然誘われたのだ。なんでも小倉にあるその店はお寿司好きの聖地と言われ、物理的距離など無関係に世界中からお客さんがやってくるらしい。ミーハー心に火がついた私は「行く!」と即答し、十数年の時を経て出会い直した寿司は、その味は、正直言って、めちゃくちゃおいしかった(なんなんだよ!)。確かな仕事が施されたであろう寿司ネタとシャリは、最初からそれがひとつの果実であったかのように一体化していた。それを一口で頰張れば、爆弾のような瞬発力で極彩色の美味しさが無限に広がる。寿司、すごい。私は目を見開きながら驚嘆し、空白の時を恨んだ。

北九州空港へ向かう帰り道。空港橋のイエローのライトが空と海の間をひゅんひゅん駆け抜けていった景色を、今もありありと思い出せる。おいしいものを食べると世界がすべて美しく見える。今日は見えた。そんな神々しい日だった。

好きが嫌いに変わる瞬間の残酷さを忘れられないように、嫌いが好きに変わるきっかけを人は絶対に覚えている。寿司と出会い直して記念碑的土地となった北九州に、2017年の秋、私は寿司屋を目指して再訪することになった。

 

本物であること

竹本

画像: 檜の一枚板のカウンター、大理石の壁、カッシーナのチェアと上質でシンプルな空間を提供する、大将の竹本大輔さん。

檜の一枚板のカウンター、大理石の壁、カッシーナのチェアと上質でシンプルな空間を提供する、大将の竹本大輔さん。

檜の一枚板、キャメル色の大理石、カッシーナのレザーチェア。竹本ののれんをくぐって目前に広がった光景を見て、エルメスみたい、と思った。そこには上品で柔らかな緊張感が漂っている。その気配はお寿司にも同じく反映されていた。
 

銀座で10年修行を重ねた竹本大輔さんのお寿司は正統派の江戸前。寿司ネタはそれぞれの一番を日本中から取り寄せて、隠れた仕事でより光らせる。その口数少ない寿司の世界に、おのずと食べ手は耳を澄ませ、吸い込まれていく。おいしさは三口目にやってくる。

シャコを嚙み締めて一口、二口、三口。崩れたシャコの旨みと甘さとシャリの塩気と酸味が混ざり合った瞬間に、グンとおいしさの真球が頭の中で完成するような瞬間がある。なにかに気づくための余白、真理ににじりよるような時の流れに、静かな興奮があった。
 

画像: 中トロにも醬油をひと塗り。

中トロにも醬油をひと塗り。

「僕はずっと本物のおいしさとは何かを考えているんです。それは必ずしも贅沢すれば見つかるというものじゃないし、派手さのなかにあるものでもありません」

26歳で店を開いて10年。時を経るごとに、足し算で目立つのではなく不要なものを削ぎ落とす方向へ向かっていった。本物を追求すればこそ調味料にだってこだわらずにはいられない。
 

画像: 70度で時間をかけて黒糖と無肥料・無農薬の生成り醬油で煮た対馬産の穴子は、ふわふわで口に入れたとたんにとろける食感。

70度で時間をかけて黒糖と無肥料・無農薬の生成り醬油で煮た対馬産の穴子は、ふわふわで口に入れたとたんにとろける食感。

「中途半端な調味料は食材が嫌がるのがわかる。穴子を煮るときは、鍋に良質の純米酒をドボドボ入れて、沖縄の黒糖にミツル醤油の無農薬醬油をたっぷり使う。そこに穴子を入れると、心地好さそうにふわあっと泳ぎだすんです」 

出来上がった煮穴子は臭みなど一切感じさせず、とろけるような舌触りで成仏する。
 

画像: 竹本

「おいしい食べ物ってつじつまが合うんです。いい素材はただでさえそのバランスが整っていますが、さらに仕事を施すことで完璧なバランスへとつじつまを合わせていく」

この人はどうにもズルのできない人なんだなあと思う。ただ繰り返し、本物とは何かを問い続け、おいしさを丁寧に磨く。その姿勢には、寿司という日本食の歴史の中に身を置く謙虚さすら窺える。
 

画像: 美麗な天草産のコハダは、ヨコ井の醸造酢で〆たもの。寿司ネタは、その時期の旬で一番おいしい上級のものを築地から揃えているそう。

美麗な天草産のコハダは、ヨコ井の醸造酢で〆たもの。寿司ネタは、その時期の旬で一番おいしい上級のものを築地から揃えているそう。

正直寿司ビギナーである私には、本物がなんだとか、寿司がなんだとか、そういうことは全くわからない。でも竹本で時を過ごして感じるのは、寿司という食体験が、「食べておいしいハイ終わり」では済まされない、なにか重大な事柄を内包しながらそこにある文化だということ。ただの運動ではなく心技体を追求するのが空手道であるように、ただお茶を飲むのではなく一杯の深緑に宇宙があると信じることが茶道であるように。寿司もまた、寿司を握る人と、それを食べる人のそれぞれに、なにか道のようなものが存在するのかもしれない。
 

画像: 一軒家にそよぐ白いのれんをくぐると、職人の繊細でいて気骨のある手仕事とハイエンドな空間が待っている。

一軒家にそよぐ白いのれんをくぐると、職人の繊細でいて気骨のある手仕事とハイエンドな空間が待っている。

そんな示唆的な予感を胸に自分を省みれば、寿司への向き合い方も食べ方も全くもってなってない。私はただ知識も経験もなく、情報だけで寿司を咀嚼している猫背の女だった。でも、いつかかっこいい寿司を体現できたなら。一人で背筋を伸ばし、本質を見極めながら、その一口一口を食べ進める人になれたなら。その道のりには長く時間がかかるだろう。でもだからこそ、生きることの希望になる。寿司を愛するということは、つまり美しく歳を重ねていくことなのかもしれないと思った。
 

竹本
福岡県北九州市小倉北区片野1-4-7
☎093-981-0140
営業時間:12:00~14:00、18:00~22:00
定休日:月
 
昼のコースは¥10000~、夜のおまかせは¥15000~20000
※季節によって若干変動あり
※要予約

 
 
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PROFILE

平野紗季子さん
1991年、福岡県生まれ。小学生から食日記をつけ続ける生粋のごはん狂。学生時代に日々の食生活を綴ったブログが話題になり文筆活動をスタート。現在『Hanako』『SPRiNG』『ウェブ平凡』ほかで連載中。著書に『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)がある。Instagram:@sakikohirano

 
●情報は、FRaU2018年2月号発売時点のものです。
Photo:Koichi Tanoue Text:Sakiko Hirano Composition:Tomoko Ogawa

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