高層ビルの間に静かに佇むプチホテル。深い緑に守られた古き良き文化サロン。小説家の山内マリコさんが目指したのは、東京に残る、大正や昭和のモダン建築。

そこには、歳月の分だけ物語があり、建物を愛した人たちの思いが刻まれていました。積み重ねられた歴史に触れたとき、大都市の知らない顔が見えてきます。

 
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モダンアールデコに彩られた
小説家に愛されるホテル

画像: 建物のてっぺんの意匠はまるでニューヨークのビル群のよう。アール・デコらしい装飾。

建物のてっぺんの意匠はまるでニューヨークのビル群のよう。アール・デコらしい装飾。

都会の空が紫色に変わってゆく。そろそろ最後の建築を訪ねる時間だ。向かったのは御茶ノ水。山内さんは「恐れ多くて、気軽には近づけない」場所だと話す。神田駿河台の路地を入っていくと、夕暮れ時の空にぽっかりと「HILLTOP HOTEL」の洒落たロゴが浮かんでいた。

ここは数々の文豪が定宿としたクラシックホテルで、山の上ホテルという可愛らしい名が付いている。
 

「池波正太郎や山口瞳がここで執筆したなんて。私にとっては夢のよう」

山内さんも、いつかはカンヅメになって執筆ができる宿を見つけたいと思ってきた。仕事の追い込み時期になると決まってお世話になるホテルはあるが、いつかは山の上ホテルで大先輩たちの仲間入りをしたい。それは密かな野望であり、だからこそ、おいそれと訪れることはできなかった。

今日は総支配人の計らいで、文豪たちのお気に入りだった部屋を見せてもらうことに。山内さんの瞳がきらきらと輝き始めた。
 

画像: 池波正太郎が指名した客室。座椅子や机を置き、この障子の前で執筆した。

池波正太郎が指名した客室。座椅子や机を置き、この障子の前で執筆した。

最初は池波正太郎のお気に入りの和室。部屋に座椅子と低い机をホテルが用意し、畳に座って執筆したという。時には趣味の絵を描くことも。「そんな時のために、画材から何から、滞在に必要なものはすべてフロントでお預りしておりました」と室長の峯松泰広さん。
 

画像: 山口瞳が執筆に使った書斎机。照明や椅子、ひとつひとつに温かみがあり、誰かの家のリビングのような空間。

山口瞳が執筆に使った書斎机。照明や椅子、ひとつひとつに温かみがあり、誰かの家のリビングのような空間。

山口瞳が気に入っていた洋室では、重厚感のある書斎机や、その机の前に飾られた本人直筆の絵を眺めた。そっと書斎の椅子に腰掛けた山内さんは「ここに山口先生が……」と静かに興奮している様子。

今だからこそ、こんな話が聞けるが、当時は誰が泊まりに来ているかは口外無用。原稿を求める編集者から小説家を守ることもホテルスタッフの仕事だった。時には隠れ蓑にもなってくれる、アットホームなもてなし。今なお、多くの文化人がここを定宿とするのもよく分かる。
 

赤い絨毯と真鍮の手摺りの組み合わせが美しい中央階段。

そんな山の上ホテルだが、建築の歴史は少々複雑だ。設計は、日本の近代建築に大きく貢献したウィリアム・メレル・ヴォーリズ。来日後、1908年に日本で建築設計事務所を構え、数多くの洋館や教会を手がけている。山の上ホテルは1937年、ヴォーリズが50代後半で手がけた建築。施主は佐藤慶太郎という実業家で、ここを自身が進める新興生活運動の拠点としていた。

この拠点には学校機能もあり、「新興生活運動の指導に当たる婦人を育成する」ことを目的に、女性たちに健康的な衣食住のあり方を教えていたという。戦後、建物はGHQに接収され、陸軍婦人部隊の宿舎となる。接収解除されると、ホテル創業者である吉田俊男が、建物を譲り受けて事業をスタート。そして今日に至る。
 

画像: ロビー。現在も河出書房新社の新人賞は山の上ホテルで授賞式が行われ、その日は文芸関係者でロビーがいっぱいになる。

ロビー。現在も河出書房新社の新人賞は山の上ホテルで授賞式が行われ、その日は文芸関係者でロビーがいっぱいになる。

「歴史ある建築に惹かれるのは、こういったドラマがあるからなんですよね」と山内さん。

「私の世代は未来に無条件でワクワクできないし、むしろ、過去にあった事や、そこにいた人に思いを馳せる方が楽しめる。それに、建物は有名でも取り壊されてしまうことがある。だから見れるうちに見ておこうと思うんです」
 

そんな話をしながら味わった山の上ホテルのフレンチレストラン〈ラヴィ〉のディナーコースは、とびきりクラシックだった。きっと脱稿した後の小説家たちも、ここで仕事の余韻に浸りながらワイングラスを傾けたのだろう。それを追体験できるのも建築が残っているからこそだ。

山の上ホテル
1936年竣工。1954年からホテルとして営業が始まる。
東京都千代田区神田駿河台1-1
☎03-3293-2311
 
フレンチレストラン ラヴィ
東京都千代田区神田駿河台1-1 山の上ホテル B1F
☎03-3293-2836

 

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PROFILE

山内マリコ Mariko Yamauchi
1980年富山県生まれ。女性のリアルな感覚を小説、エッセイで発表。代表作に『アズミ・ハルコは行方不明』など。新刊は男性の生き辛さを描き、新境地を開いた『選んだ孤独はよい孤独』。

 
●情報は、2018年10月現在のものです。
Photo:Norio Kidera Text:Yuka Uchida

 

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